6.家族はもとより、迷惑をかけた人たちに償いをする
飲酒によってもたらされた被害は、酒害者自身の責任である。従って、それを家族が肩代わりして償うということはない。しかし、飲酒に巻き込まれて、酒害者と同じ過ちのあった家族は、償いの気持ちをもって行動する必要がある。
飲酒の被害者の立場にあったとしても、酒害者の自尊心を深く傷つけたり、実現不可能な要求をしたり、あるいは、酒害者を馬鹿にして幼児扱いしたりしたことのある家族は、酒害者の立ち直りの足を引っ張ったことは否定できない。
子供たちの当然の声、甘え、要求を抑え込んだ母親は多い。その結果、子供たちは犠牲者の犠牲になった。ある母親の場合、「おまえさえいなければ、お父さんと離婚ができるのに」とまで言い、子どもの心に深い傷を負わせた。
しかし、家族が一番迷惑をかけたのは、他ならぬ自分自身に対してである。ほとんどの家族は自分を大切にしなかった。酒害の渦中で、家族は自分のしたいことは何もしなかった。楽しみ、交友、仕事など、自分にとって必要なものを放棄することで、自分自身を傷つけた。
家族は、こうした自分の不健康な状態に気がつき、自分自身を含めた自分の家族や、周囲の人に償いの気持ちを持つ必要がある。
また、償いの気持ちを、自分の心の中にとどめるだけでなく、行動に移す必要があるが、注意しなければならないことが多い。
償いが必要だと気づいたとき、自分自身を責め、気持ちを落ち込まないようにしよう。それは後悔につながり、後悔はなにも生み出さないから。
不健康な共依存状態は、酒害をうけた家族のごく自然な反応が原因になっている。酒害者や他の家族に対する愛があったからこそ、家族の共依存状態を持続させたのである。無知の責任は問われないし、問われてはならない。したがって、家族はこのことで自分を責める必要はない。
家族は知ることによって、家族としての責任を果たすきっかけをつかむようになった。無知によって生じた問題を、教訓として受け止めることで、家族としての責任を果たすことができた間違いや失敗を教訓にし、2度と同じ行動をとらないことが、償いの気持ちを行動に変えるということである。
ところが、酒害者が断酒しても、いつまでも酒害者を許せない家族がいる。過去に受けた傷にこだわり続け、過去に生きているからであろう。また、そんな場合、許さないことによって酒害者に再び酒を飲まさない、という思いがある場合もある。
しかし、家族が酒害者を許さないと、お互いが「許せない関係」を持続することになる。これは酒害によって生じた傷が、まだ癒されていないことが原因であるので、家族は例会の中で心の癒しを進めよう。
「忘れることはできなくても。許すことはできる」という言葉は家族にとって大きな目標になるべきである。「許す」ということは過去をなくすことではない。お互いが過去を教訓として。それを現在に生かすことである。
従って、許すということは、自らを共依存という不健康な状態から解放するということである、同時に、自分自身と酒害者に償うことである。
酒害者が断酒して回復が進んでいくと、酒害者は自分の酒害の実体が見えてきて、償いの気持ちを強めると同時に、家族に正当な主張すら遠慮する場合がある。しかし、家族に酒害者をコントロ−ルしようという歪みが強く残っていると、酒害者は自分の気配りの通じないことに失望する。
また、酒害者が自立し、自らの意志で行動するようになると、ある家族はこれまでどうりにコントロ−ルできなくなることをおそれ、飲んでいたころがよかった、と思ったりする。また、酒害者が飲酒を挑発したりするという、極端な共依存の例もある。
こうした場合、酒害者や他の家族が家族の回復を気長に待ってやれば、やっと回復が進むようになった家族は、待っていた人たちに感謝し、償いの気持ちを強める。長い間、お互いが傷つけあった関係は一挙に好転しないので、家族関係の修復に焦りは禁物である。
自ら傷つけてきた自分に対する最高の償いは、自分を大切にすることである。自分の長所、能力を肯定することで癒しは急速に進み、自分だけでなく周囲の人たちも大切にするようになる。
気持ちが穏やかになり、自分を愛し、周囲の人たちを愛するようになることで、誰からも愛されるようになる。愛の復活が、自分自身と家族への最高の償いである。