4.お互いの人格の触れ合い、心の結びつきが断酒を可能にすることを認め、仲間たちとの信頼を深める。

家族は、酒害に巻き込まれた自分をどうすることもできず、救いを求めることも諦めかけていた。親戚とのつきあいも、近所とのつきあいとからも徐々に身を引き、孤立を深めていった。そして、孤立を深めれば深めるほど無力になったが、逆に酒害者を責めることには力が加わった。
しかし、家族自身もやっと「底」をついた状態の中で例会に参加し、そこで真剣に回復を目指している断酒会会員や家族に出会った。そして、不思議に楽な気分になっている自分を家族は感じた。
また、自分と同じ悩みを持っている仲間が大勢いることにほっとした。そして、彼らを信頼し、恥や世間体という殻を脱ぎ捨て、ありのままの自分を語ることができればできるほど、心が軽くなっていく自分を発見した。
誰にでもありのままの自分を語ることは、家族にとって恥ずかしい、屈辱的でもある。しかし、飲んでいる酒害者を殺して自分も死のう、と思った自分の狂気をさらけ出すことができたのは、仲間たちへの信頼があったからこそ可能であった。それは同時に、仲間たちから信頼されていなければ、安心して自分を語れないということであった。
入会当初は酒害者への怨み、つらみを、家族が安心して語られる場所が特に必要である。また、それができることで心の浄化が得られるので、家族例会は新入会員の家族にとって、心の拠り所となる。
家族は、落ち着きと自分らしさをとりもどし、回復への道を歩き出すことになった。酒害者との関係を作り直すエネルギ−がうまれ、愛の復活が可能になった。
家族は、断酒会を信じ、仲間たちへの信頼を深めることに、仲間たちや断酒例会や家族例会に、自分の人生をゆだねることにした。「自分だけでもしっかりしてしていかなければ」とか、「夫が頼りにならないから自分が一家の大黒柱にならなければ」と長年思いつづけてきた家族にとって、ゆだねることに戸惑いがあったのだが。
過去の自分の頑張りを評価しすぎる家族は、私が、私が、という気持ちを例会の中でも捨て切れなかった。
またこうした傾向の強い家族は、例会の中でも捨て切れなかった。またこうした傾向の強い家族は、例会の中での人間関係を壊しやすかった。だから家族は、お互いの立場の違い、回復の過程の違い、価値観の差を認め合うことが大切であった。
また家族は、次のような気持ちになることが大切でであった。

自分だけではないのだ。
自分は完全ではないのだし、完全である必要もないのだ。
あるがままでいいのだ。
酒害者の問題は、本人や断酒会や専門家にゆだねよう。
自分自身の選択、生き方、人生を天の摂理にゆだねよう

ゆだねる気持ちは、家族の不安や不満を軽くし、家族が本来持っている力を発揮しやすくした。
こんな考えは、酒害の渦中にあったときは勿論、生まれたときから経験したことがないのかもしれない、だが繰り返し自分に言って聞かせているうちに可能になった。ところで、酒害者と家族の努力によって、両者の回復が軌道にのったとき、安心して例会をはなれる家族があった。それが原因で家族の回復は止まるだけでなく、後退を始めた。
家族が古い自分に戻ることで家族関係が不健康になり、酒害者の再飲酒につながることがあった。そんな時、「例会に自分ををゆだねよう」、「仲間たちに自分をゆだねよう」と言い聞かすことで、新しい自分に戻ることができる。自分の回復の原点にあるものが、まぎれもなく、例会であったことを思い出すからだ。
酒害者の断酒が安定し、家族が幸せを取り戻したとき、家族が例会出席の目標を見失うことがある。そんな時、断酒は手段であって、それを基礎にしてお互いが回復し続け、成長しつづけることが、本来の目標であったことをおもいだしてほしい。
それが実現できるのは、信頼できる仲間がいる例会であり、彼らが人生最良の友であることは間違いない。